コロナの影響で半年ほど納骨が遅れましたが、感染を避けながらチャンスを待っていたところなんとか盆の間の短期運用になった岡山ー千歳便に乗って8月8日に、本人の希望である弟(昇)夫婦の遺骨と共に創価学会戸田記念墓地公園(北海道石狩市厚田区望来327)へ納骨が完了しました。墓苑は広く場所はH区5番2列4号で、この区画番号を知らないと(管理事務所で調べることはできるのですが、それも使用者がわからないと調べても無理かも)墓石にはたどり着けないと思います。



納骨直前に彫刻依頼を行い、完了していました。
令和2年2月10日永眠 享年89歳
コロナの影響で半年ほど納骨が遅れましたが、感染を避けながらチャンスを待っていたところなんとか盆の間の短期運用になった岡山ー千歳便に乗って8月8日に、本人の希望である弟(昇)夫婦の遺骨と共に創価学会戸田記念墓地公園(北海道石狩市厚田区望来327)へ納骨が完了しました。墓苑は広く場所はH区5番2列4号で、この区画番号を知らないと(管理事務所で調べることはできるのですが、それも使用者がわからないと調べても無理かも)墓石にはたどり着けないと思います。
納骨直前に彫刻依頼を行い、完了していました。
コロナの影響で半年ほど納骨が遅れましたが、感染を避けながらチャンスを待っていたところなんとか盆の間の短期運用になった岡山ー千歳便に乗って8月8日に、本人の希望である弟(昇)夫婦の遺骨と共に創価学会戸田記念墓地公園(北海道石狩市厚田区望来327)へ納骨が完了しました。墓苑は広く場所はH区5番2列4号で、この区画番号を知らないと(管理事務所で調べることはできるのですが、それも使用者がわからないと調べても無理かも)墓石にはたどり着けないと思います。
納骨直前に彫刻依頼を行い、完了していました。
故人の意向で通夜や告別式での香典等については受け取らないことは会場での立札や受付等で対応させて頂きましたが、直接お越しにならなかった親族などの方からのお気持ちについては断ることも申し訳なく思い、写真のよう献花として祭壇を飾らせて頂き立派な葬儀を行う事ができました。
化粧と生前より指定のあった着物を着せてもらって、とても亡くなったとは思えない・・
生前に終活にと色々書き残してもらっていたので葬儀の際に困ることはありませんでした遺影も本人の希望の写真から作りました。いつ頃の写真か不明ですが・・・
昭和7年4月21日 岡山県総社市(都窪郡常盤村)真壁571-2 松永次郎と鶴野の長女として生まれる。戸籍では妹も出来たが生まれてすぐに亡くなっている、弟が二人いて長男 昇(のぼる)と次男 里志(さとし)。